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2009年04月 アーカイブ

2009年04月02日

ダイズ

ダイズ(大豆、学名Glycine max)は、マメ科の一年草、また、その種子のこと。食用となる。未成熟のものは、枝豆 と言われている。

農作物として世界中で広く栽培されている。日本には縄文時代に存在したと思われる大豆の出土例が有り、古事記にも大豆の記録が記載されている。

ダイズの種子には苦み成分であるサポニンが多く含まれており、人類の主食にまではなっていないが、植物の中では唯一肉に匹敵するだけの蛋白質を含有する特徴から、近年の世界的な健康志向の中で「ミラクルフード」として脚光を浴びている。ドイツでは「畑の牛肉」、アメリカでは「大地の黄金」とも呼ばれている。また、日本料理やその調味料の原材料として中心的役割を果たしている(後述)。

原産地・世界への伝来 [編集]
説が各種あり定かではないが、原産地は中国東北部からシベリアとの説が有力で、日本にも自生しているツルマメが原種と考えられている。

栽培の歴史も諸説あるが、約4000年前に中国で野生種大豆の栽培が始められたと考えられている。日本には朝鮮半島を経由して約2000年前に伝来したと言われている。日本では縄文時代の遺跡から炭化物や土器内部の植物圧痕として確認された例があり[1]、その頃から栽培が始められたと可能性も考えられており、縄文農耕の観点からも注目されている。

ヨーロッパやアメリカに伝わったのは意外にも新しく、ヨーロッパには18世紀、アメリカには19世紀のことである。1910年代以前は大豆はアジア圏以外では重要な作物とはみなされていなかった。大豆が伝播した後も専ら搾油用やプラスチックの原料など工業用途が主な栽培理由であった。ヘンリー・フォードもプラスチックの原料を安く調達するために大豆農園を作っていた。食料として注目されたのは1920年代以降の事であり、日露戦争や第一次世界大戦での日本軍の戦績が切っ掛けとされる。ヨーロッパに大豆の存在を伝えたのはケンペルだといわれており、1712年に彼が帰国した際、醤油の原料として紹介した。ヨーロッパでそれ以前に大豆の存在を知られていなかった理由として、既に他の豆類が栽培されていた事や、土壌が合わなかったことなどが挙げられている。ベンジャミン・フランクリンの手紙の中に、1770年にイギリスに大豆を送る旨が記してある。ヨーロッパでは1739年にフランスでの試作、アメリカでは1804年にペンシルバニアでの試作が最初の栽培とされている。ヨーロッパで食料として始めて収穫されたのは1929年の事とされる。アメリカで本格的に大豆が栽培されるようになったのは、1930年代に製油用や飼料用としての需要の高まりにより大規模に栽培されるようになってからである。

利用 [編集]
ダイズは蛋白質や脂肪、鉄分、カルシウムなどミネラルが多い。

日本では色々な形に加工され利用されている。まず、大豆を暗所で発芽させるともやし、畑で育てて未熟大豆を枝ごと収穫し茹でると枝豆、さらに育てて完熟したらダイズ。ダイズを搾ると大豆油、煎って粉にするときな粉、蒸したダイズを麹菌で発酵させると醤油・味噌、また蒸した大豆を納豆菌で発酵させると納豆。熟したダイズを搾ると液体は豆乳、その残りはおから、豆乳を温めてラムスデン現象によって液面に形成される膜を湯葉、にがりを入れて塩析でたんぱく質を固めると豆腐、豆腐を揚げると「油揚げ」「厚揚げ」、焼くと「焼き豆腐」、凍らせて「凍み(高野)豆腐」。 大豆にはサポニン等水溶性の毒性物質が含まれており、これらの加工は毒性物質を取り除く意味もある。

蒸した種子を発酵させてから乾燥させたものは、香鼓(こうし)という生薬である。これには発汗作用、健胃作用がある。

大豆から作られる大豆油は、かつては燃料としても用いられたが、現在最も安い食用油として発展途上国で、大量に消費されている。近年では大豆油インクが環境に優しいなどとして利用が増加している。油の搾り粕は醤油の原料や家畜の飼料となる。

なお、光の当たらないところで発芽させ、数センチメートル伸びた芽を食べるのが「豆モヤシ」である。

日本は現在大部分を輸入に頼っている為、2003年に世界的不作から価格が高騰したときには大きな影響を受けた。最大の生産国、輸出国はアメリカ合衆国、ついでブラジル。日本の輸入量は世界第3位。中華人民共和国では経済成長に伴う食生活の変化により消費量が増加しており、これからも増え続けると見られている。この需要に応えるためブラジルでは天然林伐採を伴う大豆農地の拡大が進んでおり、問題視されている。

日本では非常に珍重され、米・麦・粟・稗(ひえ)・豆(大豆)を五穀とし、節分には大豆による豆まきが行なわれるほどである。

語源 [編集]
大豆の語源は「大きい豆」ではなく「大いなる豆」である[要出典]。英語の『soy bean』の由来は、大豆がまず醤油の原料として知られた事に由来する。

タイプ [編集]
用途別

蛋白大豆=食用
油大豆=油用
枝豆用

主な品種・ブランド
黒豆
赤豆
だだちゃ豆
青入道(青大豆)
エンレイ(白大豆)
雁食豆
ミヤギシロメ
大白(おおじろ)

大豆の加工食品の一覧 [編集]
日本人はダイズをさまざまな形に加工し、食材や調味料として利用してきた。アジアの多くの地域ではダイズが様々に加工されて食べられているが、日本ほど加工の手段が多種多様に発達した国はない。例えば居酒屋などで出される簡単な肴のひとつに、開いた油揚げに納豆を詰め、焼いて醤油をかけたものがあるが、ここに使われている油揚げ、納豆、醤油は全てダイズ由来の食品である。

各地のダイズ加工食品には以下のようなものがある。
ユーティ つくだ ジャー まんご アンプ マガジン マッコリ だいせん センダン チコリー ノアアク フェイント ホーム フロッタ マリ幸運 ナンヨウ ジブル おれが オーシャ ディフェ メッシュ ナツユ ふくべそ しもごう ギャルド リング リビア キウイフル ローティー ニュース ニアピン モーター ジュアル マイナー ガント ビーム ツーリズム レクラニ ハイフ センサ メチエ バイパス クール おたる ビリー ジャンプ トロール モホス プチトマト はかま

煮豆 大豆を煮たもの
大豆油
黄粉
ずんだ
打豆
醤油
味噌
納豆
豆乳 煮た大豆を搾ったもの
ゆば 豆乳から作られる
おから 豆乳を絞った後に残るもの
豆腐 豆乳を凝固させて作られる
油揚げ 薄く切った豆腐を揚げたもの
生揚げ 厚く切った豆腐を揚げたもので中が生であり「厚揚げ」とも呼ぶ
高野豆腐 豆腐の水分を減らし乾燥させたもの
がんもどき 絞った豆腐に野菜などを混ぜ油で揚げたもの
豆豉
豆腐よう
腐乳
臭豆腐
テンペ
大豆は低カロリーながらタンパク質やカルシウムを多く含むため、栄養源として重要である。さらに大豆に含まれるゲニステイン、ダイゼイン、グリシテインなどのイソフラボンは大豆イソフラボンと総称され、弱い女性ホルモン作用を示すことから骨粗鬆症や更年期障害の軽減が期待できる。これらの作用から、大豆製品の中には特定保健用食品に指定されている物もある。また、大豆イソフラボンはサプリメントとしても用いられる。順天堂大学の研究によれば、納豆の摂食頻度と月経状態・月経随伴症状は有意の関係がみられ、摂食頻度の増加は症状を軽減させている可能性があるとしている[2]。

イソフラボンはヒトに対する悪影響も懸念されており(詳しくはイソフラボンを参照)、内閣府食品安全委員会は食品とサプリメントを合わせた安全な一日摂取目安量の上限値を、一日あたり70〜75mgに設定している[3]。なお日本人の食品由来の大豆イソフラボン摂取量は15〜22mg、多い人でも40〜45mg程度であり、サプリメントとは違って通常の大豆食品により健康を害することはない。

2009年04月17日

テュルク(トルコ語: Türk)

テュルク(トルコ語: Türk)は、中央アジアを中心にシベリアからバルカン半島にいたる広大な地域に広がって居住する、テュルク諸語を母語とする人々のことを指す民族名称である。実際には政治的・文化的に分節された様々なグループあるいは民族の総称であり、テュルク系諸民族とも言う。

トルコ語の「テュルク」にあたる言葉として、日本語では「トルコ」という形が江戸時代以来使われているが、この語はしばしばオスマン帝国においてトルコ語を母語とした人々を意味し、現在ではトルコ共和国のトルコ人を限定して指す場合が多い。英語では、この狭義のTürk(テュルク/トルコ)と言うべき一民族をTurkish と呼び、広義のTürk(テュルク/トルコ)であるテュルク系諸民族全体をTurkic と呼んで区別しており、ロシア語など他のいくつかの言語でも類似の区別がある。これにならい、日本語でも狭義のTürkに「トルコ」、広義のTürkに「テュルク」をあてて区別する用法があり、ここでもこれにならう。

中国史料に見られる丁零が、「テュルク」の語で自称・他称されていたと考えられる民族に関する記録の最古のものであると考えられている。丁零は匈奴と同時代にモンゴル高原の北方、バイカル湖あたりに居住していた遊牧民で、匈奴衰退後の3?4世紀ごろ南下して「高車丁零」を立てたが、6世紀前半に柔然に滅ぼされた。同じ頃、中国史料に鉄勒(現代中国語発音:ティエ・ラー)という当て字で記録される、テュルクの名を持つ人々が現れ、丁零の原住地バイカル湖沿岸から、中央アジアのカスピ海西岸に至る広大な地域で遊牧していた。また、同じ6世紀中頃に、やはりテュルクの音写名で記録される突厥(とっけつ、現代中国語読み:トゥー・ジュエ)が現れ、柔然を滅ぼし鉄勒諸部族を服属させてモンゴル高原からカスピ海北岸のキプチャク草原に至り、ソグド人などの定住民が居住する中央アジアのオアシス地帯までも支配する大帝国を築き、その支配のもとで中央ユーラシア全域に及ぶテュルク世界の原型が形作られた。

8世紀に突厥が滅びた後、モンゴル高原を支配した回鶻(ウイグル)の遊牧国家が崩壊すると、テュルク人のオアシス地域への南下、定住化が始まった。同時に在来のオアシス居住民(元は印欧語族イラン系の言語話者)のテュルク化が始まり、時代が進むにつれ中央アジアが「トルキスタン」(「テュルク人の土地」を意味する)と呼ばれるに至る契機となった。

イスラム世界に属した西アジアへのテュルクの進出は、はじめマムルーク(奴隷軍人)として個人個人が到来することによって始まったが、同時に定住・遊牧のテュルク人にイスラム教が次第に受け入れられてゆき、やがてイスラム化したテュルク人が遊牧部族の組織力を保ったまま西アジアに進出するようになった。トゥルクマーンと呼ばれた彼らのうち一派は、中央アジアからシリアに至るセルジューク朝を立て、アッバース朝のカリフからスルタンの称号を与えられてスンナ派の擁護者としての地位を確立する。また、トゥルクマーンの一部はアナトリア半島に進出し、ルーム・セルジューク朝、ついでオスマン朝を立て、その支配下でアナトリアのテュルク化・イスラム化が進んだ。

一方、セルジューク朝解体後の中央アジア方面は、ウイグルの崩壊後分裂していたモンゴル高原を統一してモンゴル帝国を立てたチンギス・ハーンによって征服され、テュルク遊牧民たちもその支配下に入った。しかし、帝国の西方に建国されたチャガタイ・ハン国、キプチャク・ハン国、イル・ハン国ではいずれも支配者のモンゴル系遊牧民たちが、土着の優勢なテュルク系ムスリムの遊牧民たちと一体化していき、イスラム化・テュルク化してティムール朝などのテュルク=モンゴル系イスラム王朝を打ち立てた。その後、アゼルバイジャン・イランではテュルク系遊牧民の軍事力を背景にサファヴィー朝などの諸王朝、キプチャク草原ではキプチャク・ハン国を解体して生まれた諸ハン国が興り、現在のテュルク系諸民族を形成していった。

その後、キプチャク草原は新興のロシアの支配下に入り、中央アジアも19世紀までにロシアと清によって分割される。ロシア領内のテュルク人の間では、19世紀末からムスリムの民族的覚醒を促す運動が起こり、オスマン帝国を含めてテュルク人の幅広い連帯を目指す汎テュルク主義(汎トルコ主義)が生まれた。しかし、ロシア革命が成功すると、旧ロシア帝国領内に住むテュルク系諸民族は個々の共和国や民族自治区に細分化されるに至った。一方、トルコ革命が旧オスマン帝国であるアナトリアに住むトルコ人だけのための国民国家であるトルコ共和国を誕生させた結果、汎テュルク主義は否定される形となった。

1991年のソビエト連邦崩壊後、旧ソ連から5つのテュルク系民族の共和国が独立。これら諸共和国やタタール人などのロシア領内のテュルク系諸民族と、トルコ共和国のトルコ人たちとの間で、汎テュルク主義の再台頭ともみなしうる新たな協力関係が構築されつつある。

歴史的に活動した主なテュルク系民族・国家 [編集]
匈奴、烏桓、フン族は、テュルク的要素を持つことをうかがわせる点が多いとはいえ、歴史学上は民族的系統が必ずしも十分明らかになっているとはいえない。しかし、現在のトルコ共和国ではトルコ民族の遊牧国家と見なされている。
高車
突厥
キルギス
ウイグル
ハザール
ヴォルガ・ブルガール
キプチャク(ポロヴェツ、クマン)
カラハン朝
セルジューク朝
ルーム・セルジューク朝
ホラズム・シャー朝
黒羊朝(カラコユンル)
白羊朝(アクコユンル)
オスマン帝国

モンゴル帝国の解体後に生まれた主なテュルク=モンゴル系国家 [編集]
ジャライル朝
スーフィー朝
モグーリスタン・ハン国
ティムール朝
ムガル帝国
シャイバーニー朝
ブハラ・ハン国
ヒヴァ・ハン国
コーカンド・ハン国
シビル・ハン国
カザン・ハン国
アストラハン・ハン国
ノガイ・オルダ
クリミア・ハン国

テュルク系の民族に特徴的な人名要素 [編集]
個人名
アルスラン:「ライオン」、「獅子」の意
アルプ:「勇敢な」を意味する接頭辞
ティムール:「鉄」の意
トグリル:「鷹」の意
添え名・称号
テギン:「王子」の意
ベク

現代のテュルク系諸民族 [編集]
合計で1億3000万人という説がある。そのうち5000万人以上はトルコ共和国のトルコ人である。

主権国家 [編集]
トルコ共和国
アゼルバイジャン共和国
ウズベキスタン共和国
トルクメニスタン
キルギス共和国
カザフスタン共和国

連邦構成国・民族自治区 [編集]
ロシア連邦
タタールスタン共和国
バシコルトスタン共和国
チュヴァシ共和国
ハカス共和国
アルタイ共和国
トゥヴァ共和国
サハ共和国
ウズベキスタン共和国
カラカルパクスタン共和国
中華人民共和国
新疆ウイグル自治区

その他の主なテュルク系民族とその居住地 [編集]
ウクライナ共和国の構成国クリミア自治共和国では、クリミア・タタール人が人口の2割を占める。
モルドバには、テュルク系キリスト教徒のガガウズ人が居住している。
キプロスの北部では、テュルク系の住民が北キプロス・トルコ共和国を立てて独立を宣言している。
アフガニスタンには、ウズベク人など多くのテュルク系民族が住む。
イランには、北西部にアゼルバイジャンと連続する同族のアゼリー人がまとまって居住し、北東部カスピ海東南岸および南部内陸にトルクメン人が散在し、併せて人口のおよそ3割がチュルク系である。
モンゴル国には、バヤンウルギー県を中心として西部にまとまった数のカザフ人が居住する。また、北部には少数のトゥバ人が居住する。
リトアニアの西部トラカイ市には、ユダヤ教徒カライム人のコミュニティーがある。14世紀末ヴィタウタス公により、他のチュルク系勢力(キプチャク、ジョチ・ウルスなど)に対抗すべく、招聘された者の子孫を自称する。ユダヤ教チュルク勢力のハザールとの関係は不明。

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