テュルク(トルコ語: Türk)は、中央アジアを中心にシベリアからバルカン半島にいたる広大な地域に広がって居住する、テュルク諸語を母語とする人々のことを指す民族名称である。実際には政治的・文化的に分節された様々なグループあるいは民族の総称であり、テュルク系諸民族とも言う。
トルコ語の「テュルク」にあたる言葉として、日本語では「トルコ」という形が江戸時代以来使われているが、この語はしばしばオスマン帝国においてトルコ語を母語とした人々を意味し、現在ではトルコ共和国のトルコ人を限定して指す場合が多い。英語では、この狭義のTürk(テュルク/トルコ)と言うべき一民族をTurkish と呼び、広義のTürk(テュルク/トルコ)であるテュルク系諸民族全体をTurkic と呼んで区別しており、ロシア語など他のいくつかの言語でも類似の区別がある。これにならい、日本語でも狭義のTürkに「トルコ」、広義のTürkに「テュルク」をあてて区別する用法があり、ここでもこれにならう。
中国史料に見られる丁零が、「テュルク」の語で自称・他称されていたと考えられる民族に関する記録の最古のものであると考えられている。丁零は匈奴と同時代にモンゴル高原の北方、バイカル湖あたりに居住していた遊牧民で、匈奴衰退後の3?4世紀ごろ南下して「高車丁零」を立てたが、6世紀前半に柔然に滅ぼされた。同じ頃、中国史料に鉄勒(現代中国語発音:ティエ・ラー)という当て字で記録される、テュルクの名を持つ人々が現れ、丁零の原住地バイカル湖沿岸から、中央アジアのカスピ海西岸に至る広大な地域で遊牧していた。また、同じ6世紀中頃に、やはりテュルクの音写名で記録される突厥(とっけつ、現代中国語読み:トゥー・ジュエ)が現れ、柔然を滅ぼし鉄勒諸部族を服属させてモンゴル高原からカスピ海北岸のキプチャク草原に至り、ソグド人などの定住民が居住する中央アジアのオアシス地帯までも支配する大帝国を築き、その支配のもとで中央ユーラシア全域に及ぶテュルク世界の原型が形作られた。
8世紀に突厥が滅びた後、モンゴル高原を支配した回鶻(ウイグル)の遊牧国家が崩壊すると、テュルク人のオアシス地域への南下、定住化が始まった。同時に在来のオアシス居住民(元は印欧語族イラン系の言語話者)のテュルク化が始まり、時代が進むにつれ中央アジアが「トルキスタン」(「テュルク人の土地」を意味する)と呼ばれるに至る契機となった。
イスラム世界に属した西アジアへのテュルクの進出は、はじめマムルーク(奴隷軍人)として個人個人が到来することによって始まったが、同時に定住・遊牧のテュルク人にイスラム教が次第に受け入れられてゆき、やがてイスラム化したテュルク人が遊牧部族の組織力を保ったまま西アジアに進出するようになった。トゥルクマーンと呼ばれた彼らのうち一派は、中央アジアからシリアに至るセルジューク朝を立て、アッバース朝のカリフからスルタンの称号を与えられてスンナ派の擁護者としての地位を確立する。また、トゥルクマーンの一部はアナトリア半島に進出し、ルーム・セルジューク朝、ついでオスマン朝を立て、その支配下でアナトリアのテュルク化・イスラム化が進んだ。
一方、セルジューク朝解体後の中央アジア方面は、ウイグルの崩壊後分裂していたモンゴル高原を統一してモンゴル帝国を立てたチンギス・ハーンによって征服され、テュルク遊牧民たちもその支配下に入った。しかし、帝国の西方に建国されたチャガタイ・ハン国、キプチャク・ハン国、イル・ハン国ではいずれも支配者のモンゴル系遊牧民たちが、土着の優勢なテュルク系ムスリムの遊牧民たちと一体化していき、イスラム化・テュルク化してティムール朝などのテュルク=モンゴル系イスラム王朝を打ち立てた。その後、アゼルバイジャン・イランではテュルク系遊牧民の軍事力を背景にサファヴィー朝などの諸王朝、キプチャク草原ではキプチャク・ハン国を解体して生まれた諸ハン国が興り、現在のテュルク系諸民族を形成していった。
その後、キプチャク草原は新興のロシアの支配下に入り、中央アジアも19世紀までにロシアと清によって分割される。ロシア領内のテュルク人の間では、19世紀末からムスリムの民族的覚醒を促す運動が起こり、オスマン帝国を含めてテュルク人の幅広い連帯を目指す汎テュルク主義(汎トルコ主義)が生まれた。しかし、ロシア革命が成功すると、旧ロシア帝国領内に住むテュルク系諸民族は個々の共和国や民族自治区に細分化されるに至った。一方、トルコ革命が旧オスマン帝国であるアナトリアに住むトルコ人だけのための国民国家であるトルコ共和国を誕生させた結果、汎テュルク主義は否定される形となった。
1991年のソビエト連邦崩壊後、旧ソ連から5つのテュルク系民族の共和国が独立。これら諸共和国やタタール人などのロシア領内のテュルク系諸民族と、トルコ共和国のトルコ人たちとの間で、汎テュルク主義の再台頭ともみなしうる新たな協力関係が構築されつつある。
歴史的に活動した主なテュルク系民族・国家 [編集]
匈奴、烏桓、フン族は、テュルク的要素を持つことをうかがわせる点が多いとはいえ、歴史学上は民族的系統が必ずしも十分明らかになっているとはいえない。しかし、現在のトルコ共和国ではトルコ民族の遊牧国家と見なされている。
高車
突厥
キルギス
ウイグル
ハザール
ヴォルガ・ブルガール
キプチャク(ポロヴェツ、クマン)
カラハン朝
セルジューク朝
ルーム・セルジューク朝
ホラズム・シャー朝
黒羊朝(カラコユンル)
白羊朝(アクコユンル)
オスマン帝国
モンゴル帝国の解体後に生まれた主なテュルク=モンゴル系国家 [編集]
ジャライル朝
スーフィー朝
モグーリスタン・ハン国
ティムール朝
ムガル帝国
シャイバーニー朝
ブハラ・ハン国
ヒヴァ・ハン国
コーカンド・ハン国
シビル・ハン国
カザン・ハン国
アストラハン・ハン国
ノガイ・オルダ
クリミア・ハン国
テュルク系の民族に特徴的な人名要素 [編集]
個人名
アルスラン:「ライオン」、「獅子」の意
アルプ:「勇敢な」を意味する接頭辞
ティムール:「鉄」の意
トグリル:「鷹」の意
添え名・称号
テギン:「王子」の意
ベク
現代のテュルク系諸民族 [編集]
合計で1億3000万人という説がある。そのうち5000万人以上はトルコ共和国のトルコ人である。
主権国家 [編集]
トルコ共和国
アゼルバイジャン共和国
ウズベキスタン共和国
トルクメニスタン
キルギス共和国
カザフスタン共和国
連邦構成国・民族自治区 [編集]
ロシア連邦
タタールスタン共和国
バシコルトスタン共和国
チュヴァシ共和国
ハカス共和国
アルタイ共和国
トゥヴァ共和国
サハ共和国
ウズベキスタン共和国
カラカルパクスタン共和国
中華人民共和国
新疆ウイグル自治区
その他の主なテュルク系民族とその居住地 [編集]
ウクライナ共和国の構成国クリミア自治共和国では、クリミア・タタール人が人口の2割を占める。
モルドバには、テュルク系キリスト教徒のガガウズ人が居住している。
キプロスの北部では、テュルク系の住民が北キプロス・トルコ共和国を立てて独立を宣言している。
アフガニスタンには、ウズベク人など多くのテュルク系民族が住む。
イランには、北西部にアゼルバイジャンと連続する同族のアゼリー人がまとまって居住し、北東部カスピ海東南岸および南部内陸にトルクメン人が散在し、併せて人口のおよそ3割がチュルク系である。
モンゴル国には、バヤンウルギー県を中心として西部にまとまった数のカザフ人が居住する。また、北部には少数のトゥバ人が居住する。
リトアニアの西部トラカイ市には、ユダヤ教徒カライム人のコミュニティーがある。14世紀末ヴィタウタス公により、他のチュルク系勢力(キプチャク、ジョチ・ウルスなど)に対抗すべく、招聘された者の子孫を自称する。ユダヤ教チュルク勢力のハザールとの関係は不明。
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